ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

英検1級合格までの軌跡~3度目の二次試験挑戦から合格まで~

前回は英検1級の二次試験での失敗とその後に私がした対策について書きました。

今回はいよいよ試験本番の様子についてお話ししたいと思います。

 

2004年3月3日、ひな祭り(うちは女の子いないから関係ないけど(*^^*))。その日は春を感じさせるような暖かい日差しが降り注ぐ日でした。私は試験会場に着くのがいつも遅めで長く待たされるので、今回は少し早めに到着しました。受付を通るとすぐに携帯の電源を切るように言われるので、ネタ帳をプリントアウトして持っていき、待ち時間をフル活用して読んでいました。印刷したのは全部読めないかもしれないけど、読み切れない分量を持って行くだけでも安心感につながります。教室移動の指示が出るまで、ずっと口をパクパクさせながら自分の口から英語が出るように練習していました。

 

案内された教室は待合室からごく近い距離の場所で、中の様子をまったく見ることができないまま、教室の前の椅子のところまで案内され、その椅子に掛けて待つように言われました。私の前の受験者が教室から出てきて、いよいよ私が呼ばれました。中に入ると、ネイティブ男性と日本人女性の試験官でした。今回の試験官は二人とも中年で普通な感じでした。ネイティブは最初に試験の説明をするときに、セリフを間違えたらしく、自分で自分を叩くジェスチャーをして少し和ませてくれました。日本人女性はマスクを着けていたため、少し聞き取りにくかったです。

 

私は入室時に一応笑顔は見せたけど、たぶん顔は緊張でこわばっていたと思います。最初に自己紹介するように言われ、ネイティブキャンプで当日の朝練習した通りの内容を全部喋りました。それが終わると「暇なときは何をしていますか」と聞かれたので「家で映画を観ています」と答えると「どんな映画が好きですか」という質問が来たので、「人間ドラマ」と答えました。その後、机の上に伏せてあるカードをめくるように言われました。そして1分のタイマーがオン。

 

私はできるだけ早くスピーチのお題を決めたかったので、この時もおそらく最初か2番目のお題までしか読まなかったと思います。前回悩んでしまって文構成する時間がなかったので、一瞬で決めて理由2つをひねり出すことに集中したいと思っていました。私が選んだのは、「教師は成績の悪い生徒のサポートをしたほうがいいか」というお題でした。偶然にも今回も教育系を選んでいました(笑)。ちょうど試験前に練習していた内容とよく似ていたので、今回はすぐに決めることができました。なんと理由も練習で使っていたものが使えそうだったので、そのまま当てはめることにしました。スピーチを全部言い終わると、試験官らは「もう?」という顔をしていました。おそらく少し早めに終わってしまったのだと思います。が、試験官らは何も言わず、質疑応答に進みました。

 

その後の質問では「どうやって学生をサポートすべきですか?」、「教師のストレスはどう考えていますか?」、(聞き取れていたか自信がないので恐らくですけど)「現代の子供は塾に通ったりすることで影響をうけているが、それについてどう思いますか?」と3つの質問が来ました。今回は一つずつ、具体例を入れながら、結構長めに返しました。最後の質問に対する答えは一番長くなり、文法的につたない感じを出してしまったことは否めないながらも、4分ぎりぎりまで話し続けました。タイマーが鳴ったのでこれで終了です。"Thank you. Have a good day"とか言って教室を出た瞬間、どっと緊張感が抜けた感じでした。試験の会場係の人も私のそんな様子を見て笑って「お疲れさまでした」と声をかけてくれました。

 

手ごたえは半々でした。スピーチがちょっと早めに終わったことと、最後の質問が少し聞き取りづらかったので、自分の答えが質問の答えになっていたかどうかが心配でした。理由ももっと上手く言えたのに分かりづらかったかもしれないと思いました。とにかく終わったので、その日はもうリラックス。ただ、試験結果が来るまでは、相変わらずスピーチの練習はしていました。試験結果が出るまでの10日間ほどの間に、今まで培ってきた勘を忘れたくなかったからです。加えて、ネイティブキャンプでインタラクションの練習も続けました。前回の試験後は、結果が出るまで何もしなかったために、何もかも一度振り出しに戻ったような気がしていましたので、今回は不合格も覚悟の上で同じ轍を踏みたくありませんでした。

 

そして3月12日火曜日、試験結果発表の日。午後からの発表だったので、お昼ご飯を食べて、少しリラックスして落ち着いたところで、恐る恐るアクセスしました。怖いけど、見ないと先に進めないし、不合格だったとしても一番つらいのはその日だけだからと自分を説得して早く結果を見ることに決めていました。そして、いざ開けてみると、緑地に白の「合格」の文字が!!「わ~っ!」と思わず叫んでしまいました。もう見た瞬間泣きたくなるほど嬉しかったです。アルハムドゥリッラー(≧▽≦)

 

スコアはスピーチ8点、インタラクション8点、文法と語彙7点、発音8点で、前回スコア(スピーチ5点、インタラクション4点、文法と語彙が6点、発音7点)と比べると劇的に上がっていました。スピーチは短かったものの、2分以内に論理的にポイントを押さえることができたこと、インタラクションは、具体例を入れて会話を継続させることができたことが今回2人の試験官がそれぞれ4点をつけてくれた要因ではないかと思います(5点はないと思うので(*^^*))。文法はまだまだだけど大きくコケてはいなかったから7点かなと。これは英語運用能力がまだまだということを真摯に受け止めて、今後鍛えていかないといけません。発音については初めて8点もらいましたが、正直、自分が試験でどんな発音をしていたかは録音もないのでよく分かりません。強いて言うなら、毎日ネイティブキャンプで英語を話して耳が英語に慣れていたから声にも出しやすかったのかもしれません。

 

こんな感じで私の英検は終わりました。英検の勉強をしてきて良かったのは、語彙力とスピーキング力が格段に上がったことです。一次試験があっけなく受かってしまったので、読解と聴解はまだ自信がないのが現状です。正直もっと伸ばしたかった。ということで今度はTOEICで高得点を目指そうかなと思っています。こちらは読解と聴解しかないから、これで高得点を取れるようになれば、本当に4技能を底上げすることができます。問題集も買ったので早く取りかからなければ!新たな目標ができました。

 

ここまで読んでくださった方、長々とお話に付き合っていただき、本当にありがとうございました。これから英検を受ける方の参考に少しでもなれば嬉しいです。ではまた!

 

英検1級合格までの軌跡~2回目の二次試験編とその後の対策~

こんにちは。今日は英検一級二次試験の2回目のチャレンジからお話しします。

2024年度第2回の試験のC日程だったので、試験は11月下旬でした。1年前に英検準一級の二次試験を同じ場所で受けて合格できたことなどを思い出しながら、試験会場に入りました。その時も前回と同じく、真ん中ぐらいの順番だったので、結構待ち時間がありました。私は紙にネタを書いて持参したので試験会場に入って携帯の電源を切ってからも、復習することができました(試験会場に入ったら、受付で携帯の電源を切って所定の袋に入れるように指示されます)。

 

そしていよいよ順番が来たので入ると、今回は両試験官とも優しそうな女性でした。それで少しほっとしたもあり、さらに2回目だったので前回よりは緊張しませんでした。試験が始まり、お題を5つ全部読んだものの、残念ながらピンとくるものがなく、時間ギリギリに決めました。自分が選んだお題はよく覚えていませんが、教育に関するものだったと思います。本番で出される問題は多少ひねってあるので、その場でお題に合わせてアレンジしなければなりません。私は理由が1つぐらいしか浮かびませんでした。スピーチを始め、1つ目の理由を言い終わったあとに、しばらく沈黙して時間を取ってしまいました。一瞬で浮かんできた2つ目の理由を話し出したものの、先の沈黙時間で時間を取ったために、話している途中でタイマーが鳴ってしまい、無理やり結論に入りスピーチを終わらせました。

 

その後の質疑応答は前みたいに聞き返すことなく、答えられたので自分では悪くないつもりでした。日本人が2つ、ネイティブが1つ質問したと思います。試験が終わって教室を出たときはそんなに印象が悪くなかったので、愚かにももしかしたら合格できたかもと思っていました。甘かったです(T_T)。二次試験の結果は前回よりも悪くて、スピーチ5、インタラクション4、文法と語彙6,発音7でした。インタラクションの点数の低さに驚きました。

 

ただ、よく考えてみると、質問に対する答えが短かったと思います。具体例を入れて話せていなかったです。私は今回の試験が失敗した原因は、①2つ目の理由が浮かばなかった②スピーチが2分でまとめられなかった③インタラクションで具体例が出せていなかった④文法ミスがあったことだと思いました。また、英検1級の二次試験に合格した先輩からお話を直接聞く機会があり、その方によれば、イントロ2文、ボディー各3文、結論2文の構成がよいとのことだったので、それを真似するようにしました。ただ、場合によっては結論で2文つくる余裕がないことも多々あったので、1文のときも結構ありました。それから、参考書の文を丸暗記するよりも、やはり自分の言葉で論じたほうが口から出やすいと思ったので、できるだけ簡単な文をつくってそれを音声にして聞いていました。聞いているだけでは口から出てこないので、とにかく話す練習をしました。私はスピーチの際に1つ目の理由を言った後、2つ目の理由をよく忘れてしまうので、2つ目の理由まで何も見ないで言いきる練習もしました。練習は椅子に座ってじっくりというよりは、散歩やお風呂、歯磨きの時に練習していました。

 

年末までは海外旅行などで忙しく、正月明けに始めたので、3月3日の試験まで準備期間は2カ月ほどでした。オンライン英会話は今回は英検コースのみとし、回数を週2回に増やしました。1月下旬にさらに6回分追加して先生も少し料金が高めのいい先生を選びました。やはり教え方が上手い先生がいいと思います。ただ、本番まで1カ月と迫ったころになっても、私はスピーチが上手くできなくて悩んでいました。何回やっても2つ目の理由を忘れてしまったり、2分を超えてしまったり。

 

これをどうしたかというと、何回も練習をやっているうちに、2分という時間でどのくらい話すべきなのかが大体つかめるようになってきました。私の感覚では、イントロ2文、ボディー各3文、結論1文~2文でちょうど2分ぐらいなので、ボディーが長くなってしまった場合は結論を1文にしてまとめました。知っているネタをこの場で全部出し切るのではなく、あくまでスピーチは端的にまとめて、後で来る質問のために取っておきます。英会話の先生から時間オーバーした分は点にならないから気を付けるように言われたから、制限時間内に何としても入れようとしていました。人によっては、短いよりは時間を超えても長いほうがいいと言いますが、私は時間内に収める方向で練習しました。

 

2つ目の理由を忘れないようにするには、やはり練習あるのみでした。ポイントは得意分野は絞ったほうがいいということです。あまり広げすぎると練習しきれないので、得意なものに集中して知識をつけると、質疑応答の時にどんな質問が飛んできても対応しやすいです。私は分野を環境問題、貧困、社会保障、労働問題、テクノロジー、教育、女性の自立に絞り込んで、あらゆるお題にうまく当てはめる練習をしました。

自分でつくった文がそのまま当てはめられるケースは少なく、アレンジしなければならないので、用意してあるいくつかの文を枠に当てはめる練習を繰り返しました。

 

2月初旬にインフルエンザB型に罹って4日間ほど寝たきりの生活で何もできなかった時もあり、本番前1カ月弱の段階でスピーチが上手くできていなくて焦りましたが、病気が回復してからスピーチの練習を必死に繰り返しました。

 

1月下旬から別のオンライン英会話ネイティブキャンプも始めました。こちらは定額で無制限で話し放題なので、インタラクションの練習によかったと思います。1回5分から利用可能ですが、私は15分で1トピックのディスカッションを1日最低2セットしていました。先生も毎回違う先生を選べるので、上手く話せるようになるまで同じトピックを練習し、出来るようになったら違うトピックに移りました。英検で出そうなトピックだけをピックアップしました。本番直前にはフリーカンバセーションで最初に聞かれるであろう自己紹介の練習もしました。これは本当にやってよかったです。先生が私の自己紹介を少し膨らませてこうするといいだろうと案を出してくれ、それを丸暗記して試験当日に使いました。これが試験までに私がやったことです。

 

次回は3月3日の試験当日の様子について書いていきます。

英検1級合格までの軌跡~はじめての二次試験での失敗と2回目の2次試験まで~

こんにちは。今回は英検1級の二次試験対策として私がしたことと、実際の試験の様子をできるだけ詳しくお伝えしたいと思います。

 

前回の記事に書いた通り、まさかの英検1級1次試験1発合格だったので、正直二次試験対策は合否発表の日まで何もしていませんでした。二次試験までの準備期間は約1か月ほどだったと思います。英検1級合格者のブログを読み漁ってみて、ジャパンタイムズの「英作文問題完全制覇」が評判だったので、こちらをメルカリで購入。ちなみに私が買ったのは裁断済みで本の形ではなかったので、開けるときにバラバラになりやすいので裁断済みのものはお勧めしません(笑)。肝心の中身のほうは、英作文の本ですが、二次試験対策にも十分なり得ると思います。単語や表現が参考になりました。接続詞の使い方など、英作文に慣れていない人には参考になると思います。音声も無料アプリで再生できます。私は出勤前の準備の時間に聞いてシャドーイングしていました。スピーチの練習も電車の中や通勤途中で時間を計ってやっていたと思いますが、やはり量は少なかったと思います。

 

そして迎えた二次試験当日。初めてということもあり、すごく緊張していました。

到着順に試験を受けるのですが、試験会場入りが早いほうではなかったので、結構待ちました。自分の順番が来たので、入ると年配の学者風な日本人と中年のネイティブの試験官が座っていました。ネイティブの試験官は(私はビリーと名付けたので以後ビリーと呼ぶ)試験の間、貧乏ゆすりをしていたので、「うわっ。私のスピーチが薄っぺらすぎてイライラしてるのかな」と余計に緊張してしまいました。

 

スピーチで私が選んだのは「学校で子供に政治について勉強させるべきか?」というテーマだったと思います。2分間のスピーチですが、だいぶ時間が余ったらしく、日本人の試験官から、「もう終わりですか?まだ時間があるので追加してもいいですよ」と英語で言われました。そんなこと言われてもネタないし、と思いながらも何か短めのことを話しました。それでも「もういいんですか?」といった顔をしていましたが、もう何も出てこなかったのでそれで終わりました。それに続く質疑応答では、まず日本人からの質問で、最初から聞き間違えてしまい、すぐに訂正したものの、きまり悪い感じでした。その後の質問もほぼ聞き直してしまいました。1問につき1度までなら聞き直してもいいと聞いていたので、大丈夫だったかもしれませんが、それでも聞きすぎている印象は否めないと思います。質疑応答の内容もよい具体例が出せなくて論点がぼんやりとしたものになっていたと思います。やはり準備不足でした。もう試験の最中から「ああ、これはダメだ」という気持ちでしたが、それでも必死にしゃべりました。終わって席を立ち、教室を出たときは、がっかりした気持ちでいっぱいになりました。

 

試験結果はやはり不合格。私の試験結果は、スピーチ5、インタラクション5、文法と語彙7、発音6でした。もっと最悪の結果を予想していたので、意外に点数もらえたという印象でした。スピーチとインタラクションで3をつけてくれたのはおそらく日本人の試験官だと思います。間違ってもビリーはいい点つけてくれないので!後々考えても、日本人の試験官が優しかったのかもしれません。多分私の必死で訴えかけるような顔を見て同情してくれたのかも(笑)

 

こうして一回目の二次試験に失敗してからは、まず知識をつけることと、オンライン英会話を始めて英語を話すことに慣れることに重点を置いた勉強を始めました。知識の方は、英検の問題に出てきそうなトピックを扱うYou-tube動画を観て、それを紙にまとめて書いたり、それを英訳して覚えたりしていました。スピーチは自分の主張を裏付ける理由を2つ考えなければなりませんが、その理由が全く浮かばない時などは、You-tubeでそのトピックに関連した動画を探しました。動画で探しにくい場合は、ChatGPTを使って聞いてみました。ただ、ChatGPTの情報は2022年1月が最新なので、最新の情報ではなく、一般的な情報向けだと思います。また、大まかな理由は考えられますが、具体例はまた別に探す必要がありました。でも、困ったときはかなり頼りになりました。あとはとにかく色んなところにアンテナを張り巡らせて、具体例として「使える!」と思ったときにはすぐにメモを取るようにしました。

 

次にオンライン英会話ですが、私はバリューイングリッシュを受講しました。実は1回目の二次試験の時も三回ほど受講しました。いきなり本番に挑むよりは、少しでも試験の雰囲気に慣れておきたかったからです。これは英検に特化した講座で、先生が英検の試験官と全く同じ内容でテストしてくれます。最後にフィードバックをくれるという流れで全部で25分間のコースです。1回目の試験に落ちてからは、英検コースではなく、スキルアップコースを選びました。講座では、VOAかCNNのニュース記事を事前に読んでおくように宿題が出されました。授業の冒頭でそのサマリーを話さなければなりませんでした。わからない単語や文意をつかみ、サマリーが言える準備をして講座に臨みました。その記事も知識を増やすのにある程度役立ったと思います。サマリーのあとは、先生からその記事に関する質問がたくさん来ます。これはインタラクションの練習になりました。そのあとで英検問題が1問だけ出されます。構成を1分で考えて2分でスピーチする、それに関する質問に答える、という英検の流れです。このコース英検本番の1カ月前まで週1回やり、本番前1カ月は英検講座に変えて、先生も色々変えて講座を受けました。本番はどんな人が試験官になるのかわかりません。ビリーみたいな人が来たとしても怖気づかずにできるように。そういう意味では1回目の時にビリーが試験官でよかったのかもしれません(笑)

 

長くなってきたのでこの続きは次回にします。次回は2回目の二次試験からです。

ちなみに私が二次試験対策の参考にした教材はこちら

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英検1級合格までの軌跡~準1級合格からまさかの一次試験一発合格~

アッサラームアライクム。すご~くお久しぶりです。でもやっとこの記事を書くことができて幸せです。このたび2023年度第3回の英検で1級に合格しました。

今回は私がいつ勉強を始めて、どのような勉強をして合格に至ったのかを記事にしたいと思います。ちなみに私の一次試験の成績は英検バンドG1+1でギリギリに近かったので、満点を目指す方の参考にはなりませんが、ギリギリでも合格したいという方の参考にはなるかと思います。

 

私が準1級に合格したのが2022年第2回でしたが、それに続く2023年第1回で1級の一次試験になぜか一発合格しました。ですが、二次試験で不合格、その次の第2回でも不合格、第3回でようやく合格できました。

 

まず準1級について少しだけお話しさせていただきます(本当はこの時も記事にしたかったのですが、サボりました(*´▽`*)医薬翻訳の勉強をしていたので、英語は勉強していましたが、一旦医薬翻訳の道をあきらめてインドネシア語の勉強に熱を入れていたので、英語から1年ほど遠ざかっていました。でもオンラインのインドネシア語と英語の講座を主催している友人にある時、「英検1級まで行ってほしい」と言われ、なぜかそれが頭に残って英語を再び勉強し始め、とりあえず準一級取得のために勉強を始めました。

 

準1級もやはりそれなりに難しかったと思います。勉強をし始めて4カ月ぐらい経った頃の2022年度第1回の一次試験では不合格でした。パス単も買わずに過去問だけやっていたと思います。過去問も問題集を買わずに英検のHPにある過去問をダウンロードして解いたぐらいだったと思います。ただ、英作文の本だけは買いました。不合格になってからはいずれも旺文社だと思いますが、パス単と過去問、そして苦手なリスニングの問題集も買って本腰を入れて勉強し、2022年度第2回で一次試験に合格。それに続く二次試験も合格し、悲願だった準一級を取ることができました。本当に嬉しかったです。ただ、二次試験は合格率が80パーセント程度と聞いていたので、合格発表前にも受かったつもりでいました。結果を見たときに素点が低かったので、意外に厳しいなと感じました。アティチュードの点が低かったのが「なぜ?」という感じです。あとはイラスト問題の後の質疑応答は少し長めに答えた方がいいと思いました。

 

何はともあれ受かったので、次は一級しかないということで、何年かかるか分からないけどトライしてみることにしました。今度は最初からパス単を買いました。ただ過去問は買いませんでした。まずはHPの過去問を解いてから時間的に余裕があれば買おうと思いましたが、結局余裕はなかったので買いませんでした。

 

勉強は2023年1月下旬にパス単からスタートしました。大問1の単語が難しいと聞いていたからです。私のやり方は何回も繰り返し単語に会うことで覚えていく方法でした。まずはパス単をひと通り全部読みました。これが一番しんどいですが、1カ月弱で1冊読み終わり、その後はもう本をあまり見ないでアプリに移行しました。準1級の時は旺文社の「英語の友」というアプリを使いましたが、今回は物書道ストアの「英検出る順パス単1級(5訂版)」というアプリを使いました。「英語の友」は買い切りではなく、毎月支払いがありますが、こちらは買い切りで2000円もしなかったと思います。私は合格までに何年かかるか分からなかったので、買い切りにしました。アプリは出る度A、B、C、熟語編と別れており、一日に別々のパートから2セクションを覚えました。つまりAとC、BとC、Aと熟語などです。それをひと通り回したら、またそれを組み合わせを変えたりしながら回しました。1回だけだとすぐ忘れるので何回も回しました。何度回したかはよく覚えていませんが、少なくとも6回以上は回していたと思います。

 

この年の4月から派遣でフルタイムで働き始めたため、通勤時にアプリで単語をひたすら勉強して、週末に過去問を解いたり、その復習をしていました。それと並行して英作文の勉強もしていました。こちらはジャパンタイムズの英作文問題集を購入して、時間を計って練習を繰り返していました。音声もあるのでスキマ時間に聞いていました。また、リスニングが苦手なので、ジャパンタイムズの問題集を購入して朝の出勤前に少しずつ解いていましたが、正答率が上がらず伸び悩んでいました。復習したら音読もしていましたが、正直時間がなくて、準備不足のまま6月初旬に試験日を迎えました。

 

試験の解き方は、大問4の英作文→大問1→大問2→大問3の順番にやるというのが私の戦略でした。英作文は配点が高いので、時間が無くなってしまうと勿体ないので、確実に点を取れるようにしました。時間も英作文には30分ほどかけました。これは結果的に正解だったと思います。私は英作文の点数が良かったために一次試験に合格できたからです。

 

続く大問1はできるだけ早く確実に点を取るようにしたいところですが、最初に過去問を解いたときは、25問中8問しか正解できませんでしたが、パス単をひたすら頑張った結果、本番では19問正解できました。これがリーディングパートを引き上げてくれる結果となりました。大問2と大問3の長文読解は正直時間が足りなくて、全部回答できなかったと思います。最後のリスニングも散々な出来だったので、試験が終わった瞬間、絶対落ちたと思っていました。一次の試験結果を見るときもどうせ落ちてると思うと憂鬱でしたが、Eナビの合否発表で「一次試験 合格」との文字を見て呆然としました。人違いではないかと本気で思いました。あんなに長文やリスニングが散々だったのに受かるなんてことがあるのかと。私は作文がずば抜けて良かったのと、大問1の単語の正解が多かったために合格できましたが、調べてみるとそういうパターンもどうやらあるらしいことがわかりました。→二次試験編につづく

 

 

 

インドネシアへのイスラム教流入の歴史とその発展

みなさん、こんにちは。今日はインドネシアイスラム教の歴史とその発展について書いてみたいと思います。現在、インドネシアは約90%のムスリムを擁する世界最大のイスラム教国家となっています。では、いつインドネシアイスラム教が入り、どのようにして広まったのでしょうか?
 
インドネシアへのイスラム流入に関しては、いくつかの説があります。まず、インド説です。イスラム教のインドネシア諸島への流入は13世紀にインドネシアで商売をしていたインド人ムスリムの商人がもたらしたと言われています。マラッカ海峡から来たインドの大商人らが、インドネシア西部で現地の人々と交流し、その後、サムドラパサイというイスラム王国が現れました。サムドラパサイ王国の建国者の一人であるマリク•アッサレの墓碑の様式は、グジャラート州の墓碑に非常によく似ています。
 
次はアラブ(メッカ)説です。こちらではカリフ時代にイスラムがアラブ(メッカ)から直接インドネシアに入ってきたと言われています。専門家によれば、7世紀にはスマトラ島西岸に定住したアラブ人グループについて中国の古文書に記載されています。
 
3つ目はペルシア(イラン)説です。専門家によれば、インドネシアの伝統文化はペルシアのものと類似点があります。その例の一つとして、インドネシアにあるイスラム様式の墓石に刻まれたカリグラフィーがペルシア文化に類似しています。また、西スマトラのタボットやタブイクでの宗教儀式のいくつかが、ペルシアで毎年イスラム歴1月10日に行われる宗教儀式に類似しています。ただ、ご存じのように、ペルシア(イラン)のイスラム教がシーア派であるのに対して、インドネシアに広まっているイスラム教はスンニ派ですので、ペルシア説と現在の事実との関連性は薄いと考えられています。
 
4つ目は中国説です。唐(618~905)の時代に現在のサウジアラビアにあるイスラム都市マディーナから来たムスリム司令官らによってイスラム教が中国にもたらされました。当時、中国の広東はイスラム布教の中心地でした。中国のイスラム本によれば、アラブ人ムスリムと中国人との関係は713年に始まりました。インドネシアへのイスラム流入も中国人ムスリムの東南アジア移住により、同時期に起きました。特に9世紀に南スマトラパレンバンに多くの人が移住しました。ほかの証拠として、中国出身のイスラム教宣教師が多く、ジャワ初のイスラム王国であるデマク王国に大きな影響を及ぼしました。
 
ここからは、イスラムインドネシアでどのように発展していったかについて述べていきます。まず、商売の道です。インドネシア、特にスマトラはビジネスの中心であるマラッカ海峡から近く、アラブ、ペルシアなど、中東をはじめ、世界の商人が寄港していました。商人らは商売だけでなく、布教活動もしていました。そして海岸にイスラムコミュニティーが出来ました。中国の古文書によると、7世紀にスマトラの西海岸からマラッカ海峡周辺にアラブ人の集落がありました。13世紀に向けてイスラム王国が出現するようになりました。東インドネシアやスラウェシにもイスラム王国がありました。カリマンタンイスラムが入ったのは18世紀になってからです。
 
次に、結婚の道です。経済的にムスリム商人は原住民の大多数よりも高い地位にいたので、現地の女性らはムスリム商人の妻になりたいと考えました。結婚前にまずイスラムに入信し、子供を産み、それが広がり、ムスリムの村落や地域が出現しました。
 
3つ目は教育の道です。ムスリムコミュニティーが広がるにつれ、ほかの場所で宣教するウラマーが増えました。
 
4つ目は芸術の道です。ワヤンをはじめ、文学、伝説や歴史書物などでイスラムが広がったほかにも、イスラムの建築様式や彫刻芸術もありました。
 
5つ目は政治の道です。マルク、 スラウェシでは、王国がイスラム信仰を始めてからムスリムが増えました。スマトラ、ジャワ、ヌサトゥンガラでは、ノンイスラムの王国と戦争し、勝利によって多くの住民をイスラムに引き入れました。
 
説明はここまでとなりますが、こうしてみると、初めてイスラムインドネシアに入ったのはムスリム商人がインドネシアに寄港していた7世紀頃で、先ほど述べた過程を経て次第に広がり、ついにイスラム王国が多く出現するにいたったのではではないかと推測しています。諸説ありますが、どれも証拠に基づいており、正しい気がします。地域によって流入の仕方に違いがあったのかもしれません。今回、インドネシアイスラム教の歴史は思ったより長く、商売が大きな要素となって広がっていったことが分かり、交流の大切さを確認することが出来ました。ここまでお読みいただきありがとうございました。
           

Sejarah dan perkembangan masuknya Islam ke Indonesia
 
Halo semuanya. Hari ini saya ingin menulis tentang sejarah Islam di Indonesia dan perkembangannya. Saat ini, Indonesia merupakan negara Muslim terbesar di dunia dengan sekitar 90% penduduknya beragama Islam. Kapan Islam masuk ke Indonesia dan bagaimana penyebarannya?
 
Ada beberapa teori mengenai masuknya Islam ke Indonesia. Yang pertama teori India atau teori Gujarat. Masuknya Islam ke Nusantara konon dibawa oleh para pedagang Muslim India yang berbisnis di Indonesia pada abad ke-13. Para pedagang besar India dari Selat Malaka berkomunikasi dengan masyarakat lokal di Indonesia bagian barat. Kemudian, sebuah kerajaan Islam bernama Samudra Pasai muncul. Corak dari batu nisan Malik As-Saleh, salah satu pendiri Kerajaan Samudura Pasai, sangat mirip dengan nisan yang ada di Gujarat.
 
Yang kedua teori Arab atau Mekkah. Di sini dikatakan bahwa Islam masuk ke Indonesia langsung dari Arab atau Mekkah pada masa kekhalifahan. Menurut ahli sejarah, ada naskah kuno Cina yang menyebutkan bahwa sekelompok Bangsa Arab yang bermukim di pesisir barat Pulau Sumatera pada abad ke-7 Masehi.
 
Yang ketiga adalah teori Persia atau Iran. Menurut para ahli, budaya tradisional Indonesia memiliki kemiripan dengan budaya Persia. Salah satu contohnya kaligrafi-kaligrafi yang ada di makam batu nisan di Nusantara, yang mirip dengan budaya Persia. Juga beberapa ritual keagamaan seperti Tabot dan Tabuik di Sumatera Barat mirip dengan yang diadakan di Iran setiap tahun pada tanggal 10 bulan pertama dalam kalender Islam. Namun, seperti yang kita ketahui, aliran Islam di Iran merupakan aliran Islam Syiah, sedangkan aliran Islam yang berkembang di Indonesia adalah aliran Sunni. Sehingga teori Persia ini dianggap kurang relevan dengan fakta yang ada.
 
Yang keempat adalah teori Cina. Islam dibawa ke Cina pada masa Dinasti Tang 618 sampai 905 Masehi oleh panglima muslim yang berasal dari Madinah. Pada masa itu, kota Kanton pernah menjadi pusat dakwah Islam. Menurut buku Islam di Cina, relasi antara Muslim Arab dengan orang-orang di Cina terjadi pada tahun 713. Masuknya Muslim ke Nusantara juga diyakini bersamaan dengan banyaknya migrasi Muslim Cina ke Asia Tenggara. Banyak orang bermigrasi, terutama ke Palembang di Sumatera Selatan pada abad ke-9 Masehi. Bukti lainnya adalah banyaknya pendakwah yang berasal dari keturunan Cina, yang mempunyai pengaruh besar pada masa Kerajaan Demak, kerajaan Islam pertama di Jawa.
 
Bagian berikut ini menjelaskan bagaimana Islam berkembang di Nusantara. Yang pertama, jalur perdagangan. Sumatra, dekat dengan Selat Malaka, pusat perdagangan utama, dan merupakan pelabuhan singgah bagi para pedagang dari seluruh penjuru negeri dan salah satunya adalah pedagang yang berasal dari Timur Tengah seperti Arab dan Persia. Para pedagang tidak hanya berdagang, tetapi juga menyebarkan agama Islam di Nusantara. Kemudian komunitas-komunitas Islam telah muncul di pesisir pantai. Seperti disebutkan sebelumnya, menurut naskah kuno Cina, terdapat pemukiman Arab dari pantai barat Sumatra hingga ke daerah Selat Malaka pada abad ke-7. Menjelang abad ke-13, kerajaan-kerajaan Islam mulai bermunculan. Terdapat pula kerajaan-kerajaan Islam di Indonesia Timur dan Sulawesi. Tentang Kalimantan Islam baru masuk pada abad ke-18.
 
Yang kedua, jalur perkawinan. Dari sisi ekonomi, para pedagang Muslim memiliki status sosial lebih baik daripada kebanyakan pribumi, sehingga penduduk pribumi terutama putri-putri bangsawan  ingin menjadi istri para pedagang Muslim itu. Sebelum menikah, mereka terlebih dahulu masuk Islam, melahirkan anak, yang kemudian menyebar dan muncullah kampung dan daerah Muslim.
 
Yang ketiga, jalur pendidikan. Semakin meluasnya komunitas Muslim muncullah pesantren-pesantren yang dibangun oleh ulama-ulama yang kemudian berdakwah di tempat lain untuk mengajarkan Islam.
 
Yang keempat, jalur kesenian. Islam menyebar melalui wayang, sastra, hikayat, babad dan lainnya serta seni bangunan dan seni ukir.
 
Yang kelima, jalur politik. Di Maluku dan Sulawesi, jumlah Muslim telah meningkat setelah rajanya memeluk Islam terlebih dahulu. Di Sumatra, Jawa dan Nusa Tenggara, demi kepentingan politik kerajaan-kerajaan Islam memerangi kerajaan-kerajaan non Islam. Kemenangannya banyak menarik penduduk untuk masuk Islam.
 
Penjelasan saya sampai di sini. Ketika kita melihat sejarahnya, kita dapat mengasumsikan bahwa Islam pertama kali masuk ke Indonesia pada sekitar abad ke-7 Masehi ketika para pedagang Muslim singgah pelabuhan di Nusantara, dan secara bertahap menyebar melalui proses yang sudah dijelaskan, yang pada akhirnya banyak kerajaan Islam muncul. Ada banyak teori, tetapi semuanya tampak kredibel karena didasarkan pada bukti-bukti. Mungkin ada perbedaan dalam cara Islam mengalir ke berbagai wilayah. Kali ini, saya dapat  belajar bahwa sejarah Islam di Indonesia lebih panjang dari yang saya duga, dan bahwa perdagangan merupakan faktor utama dalam penyebarannya, dan juga saya dapat belajar lagi tentang pentingnya komunikasi. Terima kasih banyak telah membaca sejauh ini!

 

『英語日記BOY』を読んで国内留学しよう!

こんにちは。久しぶりにブログ書いてます。

今日は語学学習者におすすめの一冊をご紹介したいと思います。

新井リオさんの『英語日記BOY』です。


英語日記BOY 海外で夢を叶える英語勉強法 [ 新井リオ ]

この本は中田敦彦さんの『YouTube大学』の中で紹介されていました。

気になる方はそちらもご覧ください。

 

なぜ気になったかというと、海外に行って高い語学学校の費用を払わずとも、

留学と同じような環境を国内で整えれば、語学留学しているのと同じ効果が期待できるという内容だったからです。

 

特にタイトルにあるように、英語日記に注目しました。

普段自分が思っていること、人に伝えたいことを英語日記にして、それをオンライン英会話で先生に添削してもらって、正しく直してもらった英文を繰り返し発音していくことによって、どんどん力がついていくとのこと。文はいきなり英語からではなく、自然な日本語から文を作ることによって語彙力や表現力が上がっていく。なるほど~、これは試してみる価値がありそうです。

 

このほかにも、新井さんは1日に3時間英語時間を作って、徹底的に英語しか使わない時間を作っていました。スマホは英語モード、ニュースは英語ニュース、ついつい時間を費やしがちなTwitterも見るのは英語話者のツイートのみ、英語ラジオは流しっぱなし、漫画は英語と徹底しています。

 

また、スマホを使ってかなり工夫しています。

一部を紹介すると、

・完成した英語日記をインスタグラムにアップする

・Lineでオリジナルフレーズ集を作り、それを一日100回言う

・一日の集大成にインスタグラムのストーリーズに練習したフレーズを動画または音声でアップする

スマホの読み上げ機能を使ってネイティブの発音を聞き、それをシャドーイングする

・Siriで自分の発音を矯正してもらう

 

新井さんは実際にカナダで生活もしていましたが、高額の語学学校に通わず、オンライン英会話を使っていました。このように、工夫次第で語学力を伸ばすことができるんですね。

 

新井さんはかなり徹底していたので、これを私が全部できる自信はありませんが、全部ではなくても、自分の出来ることから少しずつ実行していってもいいと思います。

いきなり全部やろうとして「無理!」と言って投げ出すくらいなら、少しずつ継続的に出来ることをやっていけばいい。新井さんもいきなりすべてを同時期に始めたのではないのではないでしょうか。

 

私は今Lineに自分だけのグループを作って、英語とインドネシア語で覚えたいフレーズを入れるようにしています。検索もすぐに出来るので便利です。

日記も力がつきそうなので、ぜひ挑戦してみたいと思います。

日本語から作るのはいいですね。表現の幅が増えて楽しそうです。

 

この本には上に挙げた方法について、詳しく説明されています。カナダに行った経緯や、実際にカナダでどのように勉強していたのかについても書かれていますので、気になる方はぜひご一読ください。とても読みやすいので、すらすら読めると思います。

 

みなさんの語学学習の参考になれば幸いです。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 


英語日記BOY

インドネシアでハラールのワクチンは?

アッサラームアレイクム(皆さんに平安あれ)

 

今日はインドネシア新型コロナウイルスのワクチン事情について調べたことをお伝えしたいと思います。

 

インドネシアウラマー評議会(MUI)はこれまで、アストラゼネカなど豚由来の物質が使われているハラーム(イスラム的に非合法)のワクチンでも、集団免疫を確保するうえでほかに選択肢がなく、緊急を要する場合には使っても差し支えないという見解を示してきました。

 

ところが、この4月に最高裁判所は政府に対して、ムスリムに対する新型コロナウイルスワクチンのハラールイスラム的に合法)性を保証するよう求めました。政府もこの決定を尊重する姿勢を示しており、今後インドネシアムスリムが接種できるワクチンの内容が変わる可能性が出てきました。

 

MUIがハラールとの見解を示しているワクチンは以下の4つ。

 

1.シノバック(中国)

2.Zifivax TM(中国)

3.Merah Putih(インドネシア

4.シノファーム(中国)

( )内は開発国

 

Merah Putihはまだ開発中とのことです。上の4つ以外のワクチンについてMUIが示している見解は以下の通り。

 

1.アストラゼネカ(英国)

製造過程で豚由来の物質が使われているためハラーム。しかし、緊急の必要がある場合、すぐにワクチンを接種しなければ死に至るなどの危険がある場合、十分な量のハラールのワクチンが確保できない場合、政府が安全性を保証した場合、政府に新型コロナウイルスワクチンの種類を選択する自由がない場合には緊急使用が認められています。

 

2.ファイザー(米国・ドイツ)とモデルナ(米国)

アストラゼネカと同じく、緊急使用が認められています。ファイザーはハラームですが、モデルナに関してはまだはっきりとした見解が出されていません。

 

MUIは、集団免疫を確保するために十分な量のハラールワクチンが確保できる状態であれば、ハラールではないワクチンの使用は認められないとの見解を示しています。政府は3回目の接種にシノバックを推奨しています。このような動きを受けて、国民がワクチンのハラール性を心配してこれまで緊急使用が認められてきたワクチンの接種を躊躇する可能性もあり、医療関係者からはワクチン接種の遅れを懸念する声も上がっています。

 

ほかのイスラム諸国ではファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどのワクチンが使用されていて、各国の宗教指導者によれば、「不浄」とされている物質も製造過程で元の物質とは全く違う物質に完全に変わっていれば、使用しても差し支えないとのことです。

 

約87%のムスリムを擁するインドネシアハラールのワクチンをどのように確保していくかが今後のコロナ対策の鍵を握っていると言えそうです。ハラール性はムスリムにとっては重要事項なので決してないがしろにできない問題ですが、政府にはバランスのとれた現実性のある対策が望まれそうです。

 

今回参照した記事です。

nasional.tempo.co

www.bbc.com

www.cnnindonesia.com

 

今日はインドネシアのワクチン事情についてお伝えしました。

皆さんのご参考になれば幸いです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。