ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

心を起こしましょう

私達の周囲には心の病に侵されている人が大勢います。それは汚い言葉、相応しくない言葉を使う人やハラーム(イスラムの禁止事項)も含めて何でも聞く人のことです。

 

預言者様(彼に平安と祝福あれ)は言われました。

「身体の中にひとつの肉の塊がある。その肉塊が良い状態なら身体全部が良い状態になり、悪い状態なら身体全部が悪い状態になる。その肉塊とは心である」

ハディース、ブハーリー:52およびムスリム:1599)

 

ある山羊飼いのお話をしましょう。山羊飼いが山羊たちを草原に連れて行ったとき、疲れて木に寄りかかり、うとうとと眠ってしまいました。山羊飼いがぐっすり熟睡している間に山羊たちはほかの家の敷地に入ったり、山頂まで行ったり、大通りを横断したりと、めいめいさまざまな方向に散らばってしまいました。山羊飼いが起きたときには山羊たちは一匹たりともいなくなってしまいました。

 

なぜこのような事態になったのでしょう。それは山羊飼いが寝ていたからにほかなりません。山羊が私達の手や口、目、耳だとしたら、山羊飼いは私達の心です。言動が悪く、身近に苦難に遭って助けを求めている人がいても何も感じず、普通のこととして受け止めていたとすれば、それは心が眠っている状態です。

 

このような状態の心は起こす必要があります。ただ、心に付いた汚れがあまり酷いと起こすのが難しくなります。比較的心が綺麗な状態であれば起こすのは簡単ですが、悪行が常態化している場合は難しいです。いつもヒジャーブ(イスラム教徒の女性が頭に被るスカーフ)を着けない人は、ヒジャーブを着けている人を見ると疎ましさを感じます。ヒジャーブを着けない人にとって、着けない状態が通常のこととなっているからです。

 

ではどのように眠った状態の心を起こしたらよいのでしょうか。その方法のひとつは敬虔なムスリムと付き合うことです。敬虔な友人は自分をお祈りに誘い、情け深いために見放さずに見守ってくれるので、少しずつ良い方向に向かうことができます。反対に、行いが悪い人と一緒にいると悪い方向に向かいます。心が固くなって起きない人はやがて災害に見舞われることになります。

 

心に付いた汚れが酷くてなかなか落ちない場合でも、アッラーは災害を起こすことによって私達に気付かせてくださいます。ここにアッラーのご慈悲を感じます。アッラーの行うことはすべて意味があるので、どんな場合でも絶望してはいけません。ただ、そのような状態になる前に自分で気づくことができるといいと思います。インシャッラー。アッラーよ、どうか私達の心をいつも正しく真っすぐな方向に導いてください。

 

(Kompas TV、Kalam Hati、ラシード先生の講話より)