ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

孤児に対する喜捨の方法と対象

(ここではインドネシアのテレビ番組、Kalam Hatiで先生がお話しされた内容に基づいて書いています。)

 

前回の記事で、孤児を守るのは社会の義務であることを書きました。今日は孤児に対する喜捨の方法と孤児の年齢範囲について書いてみたいと思います。

 

孤児を支援したくても孤児と直接の関わりがない場合、どのように喜捨したら良いでしょうか。先生は、孤児の支援団体を通じて喜捨してもいいし、支援団体に出向いて孤児に直接渡してもいいと言われました。その際、頭を優しく撫でてあげるとさらに良く、1回撫でるだけでも善行になるそうです。

 

また、自分の心が固くなっているときに、父親を失くして生活の糧がない子供と交流することによって自分の心が癒され、これが薬になって免疫力が上がり、信仰心も強くなり、心は感謝で満たされるでしょうと先生は言われました。

 

では、イスラムで「孤児」とは何歳までの子供のことをいうのでしょうか。先生によると、成人するまでが孤児であり、成人とは男性の場合、夢精が一つ目の印で、15歳になったときが二つ目の印であり、女性の場合は生理になるか11歳になったときであると言われました。孤児を養う人は、孤児が成人に達するまで、食べ物だけでなく、教育も施し、孤児たちが大人になって社会で自立した生活を送るための準備をさせなければなりません。成人に達したら孤児たちはアッラーからの指示を受けることになります。

 

ここで司会者は先生に、「成人してもまだ自立できていない場合、(孤児を養ってきた人の)孤児に対する義務はまだあるのでしょうか」と質問しました。先生は、成人したら責任は本人にあるので、その後も支援した場合はサダカになると言われました。

 

預言者様(彼に平安と祝福あれ)は「私は孤児に慈悲をかけて助ける人と共にいます」と何度も言われていました。預言者様(彼に平安と祝福あれ)は孤児を大いに気に掛けておられました。孤児を助けることによるアッラーの報奨は大きいです。孤児に対する善行を行うかどうかは信仰のバロメーターになります。社会奉仕をしない人の礼拝はアッラーに受け入れられません。

 

ここまでが講話の内容です。人は誰でも社会の役に立つことに喜びを感じると思います。社会の役に立つことによって自分が感謝し、それが原動力となってさらに良いことをしたくなるものです。脳科学的にも、感謝によってドーパミンセロトニンオキシトシン、エンドルフィンなどの脳内物質が分泌され、私達の心と体の健康にとって良いことが起こります。このように、人間の体はそもそも社会の役に立つように創られているのだと思います。私達が自分のできることをアッラーの道で最大限に生かすことができますように。

 

(Kompas TV、Kalam Hati、ラシード先生の講話より)