ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

『天気の子』感想の続き(2)

ラストシーンの「僕たちはきっと大丈夫だ」

 

物語のラストシーンで、帆高は陽菜との再開を果たします。この瞬間、帆高は心の中で「違う!世界は最初から狂ってたわけじゃない。僕達が変えたんだ!」と強く感じています。老婦人(『君の名は。』の主人公、立花瀧の祖母)の「東京のあの辺はもともと海だったのよ。だから結局元に戻っただけだわ」という言葉や、須賀の「世界なんてどうせもともと狂ってんだから」という言葉に納得しきれなかった帆高でしたが、坂の上に立つ陽菜の姿を見て、はっきりと自覚したのだと思います。自分の選択によって世界が変わってしまったことを、青空よりも陽菜を選んだことを、大衆の幸福よりもたった一人の愛する人の命を選んだことを。この後の「僕たちはきっと大丈夫だ」という帆高のセリフは、おそらく陽菜の顔を見て安心したから出た気持ちなのでしょう。そして自分の選択に間違いはなく、狂ってしまった世界のなかでやっていくしかない、陽菜を全力で守っていこうという覚悟を決めたのだと思います。咲き誇る桜がそんな2人を祝福しているかのようでした。

 

この映画をご覧になった皆さんは2人の行動をどのように感じられましたか。映画では桜や感動的な曲で盛り上げられ、この2人が肯定的に捉えられていますが、自分達の個人的な思いによって多数の人間の幸福が犠牲になった結果を否定的に捉えた方もおられるかもしれません。しかし、もし自分の大事な人が目の前で世界を相手にたった1人で苦しんでいるとしたらどうでしょうか。自分の最愛の人に対して、大衆の幸福のために犠牲になってくださいと言えますか。人の心とはそういうものではないでしょうか。帆高の心は、私には人として失ってはいけない心のように思えます。

 

また、「僕たちはきっと大丈夫だ」のセリフのなかには、世界は狂ってしまったけど、多少のことは何とかなる、前向きにやっていこうというメッセージが込められているように思います。これは2人が大丈夫という意味と、世界が大丈夫という意味の両方ではないでしょうか。このメッセージは今のコロナの時代にマッチしています。この映画は2019年に公開されたものですが、コロナウイルスの蔓延によって一変してしまった世界に戸惑う私達に対して、大丈夫、前向きにやっていくしかない、とあたかもエールを送ってくれているかのようです。

 

この映画はシンプルなストーリーですが、奥深く、曲の歌詞も訴えかけてくるようで、味わい深く楽しむことができました。これまで2回観ましたが、もう一度観ると新たな発見がありそうなので、時間があればもう一度観てみたいと思います。インシャッラー。

 

感想はここまでになります。お読みいただき、ありがとうございました。