ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

仕事の徳

(ここではインドネシアのテレビ番組、Kalam Hatiで先生がお話しされた内容に基づいて書いています。)

 

イスラムでは、家族を支えるために仕事をすることは善行となります。今回は仕事の徳について、ソルメド先生が番組で話された内容をまとめていきます。

 

仕事をすれば罪が許され天国に行ける

 

一家の大黒柱であるお父さんが毎日仕事に行くのは、ただ生計のためにお金を稼ぎに行っているのではなく、アッラーからのご褒美を毎日もらいに行っているのです。それだけでなく、朝に仕事に出掛けると、夕方にすべての罪が許されます。また、天国も約束されます。

 

預言者様(彼に平安と祝福あれ)のサハーバ(教友)の一人が預言者様(彼に平安と祝福あれ)に会った時、そのサハーバは炎天下での激しい労働により、手はザラザラ、顔は日に焼けて黒くなり鉛色を帯びていました。預言者様(彼に平安と祝福あれ)に「どうしたのですか」と問われて、自分の炎天下での激しい労働について話すと、預言者様(彼に平安と祝福あれ)はそのサハーバの手にキスをして、「その手はあの世で地獄の炎に触れることはないでしょう」と言われました。

 

障害がある人が仕事をするとご褒美が倍増

 

番組であるバイクの運転手が紹介されました。インドネシアでは交通手段として、個人バイクがあり、タクシーのように行きたい場所に連れて行ってくれます。その人は耳が聞こえないので、自分のヘルメットの後ろにお客さんに読んでもらうために貼り紙を貼っていました。そこには「私は耳が聞こえません。左右に曲がる時、止まる時は肩を叩いてください」と書かれていました。このように、この運転手は耳が聞こえないけれども、工夫をして家族のためになんとか生計を維持しようとひたむきに頑張っていたのです。

 

ここで先生は、アッラーが私達を苦難の中に取り残すようなことは決してないと強調しました。どんな苦境に立たされても、アッラーからリズキ(糧)を得るチャンスが必ず与えられます。そしてリズキを得る方法は人それぞれ違います。このバイクの運転手は耳が聞こえませんが、目は見えます。バイクを運転することも出来ます。その人に相応しい方法がアッラーによって必ず用意されています。私達はこのことを確信していなければなりません。また、バイクに乗るお客さんはその運転手にボーナスとして規定の料金の3倍支払ってくれるかもしれません。お客さんは可哀想という気持ちもあるでしょうが、それだけはありません。生活の糧を得るために一生懸命働いている運転手の努力を評価しているのです。勿論アッラーからの報酬もインシャッラー、普通の人の労働の何倍にもなって帰ってくるでしょう。

 

物乞いに与えるべきか

 

インドネシアには貧しいために物乞いをする人が多いです。先生によれば、物乞いは身体的事情や家庭的事情、貧困、高齢など、どうしても働けない事情がある場合の緊急手段です。まず、イスラムにはザカート(義務の喜捨)とサダカ(任意の喜捨)があり、貧者にはこれをもらう権利があるので、物乞いをする必要がありません。

 

次に、仕事をする能力があるのに仕事をしない人や探せば仕事があるのに仕事をしない人が物乞いをしている場合は、何も与える必要はありません。むしろ、このような人達が怠惰にならないように、仕事へと導く必要があります。私達がサダカしたお金をお酒や薬物などハラーム(禁忌)なことに使われたら、そのサダカはハラームになってしまいます。ハラームなことが蔓延しないためにも、私達はこのような人達に安易にお金や物を与えるのではなく、仕事をする意欲を持たせるべきです。

 

今回のお話は家計のために仕事に出るお父さんにとって朗報だったのではないでしょうか。外に仕事に出るのは大変なことですが、インシャッラー、アッラーがその頑張りに必ず報いてくださいます。皆さんが毎日仕事に行く励みになれば幸いです。

 

(Kompas TV、Kalam Hati、ソルメド先生の講話より)