ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

映画『天気の子』

先日、新海誠監督の『天気の子』が地上波初放送となったので、早速録画しましたが、最近になってようやく観たので、今日はその感想を書いてみたいと思います。この作品は登場人物の心理状態がその言動に細かく描写されているので、注意深く見ていると様々な発見がありました。内容も深く、考えさせられる映画でした。

 

須賀は現代人の代表

 

この物語の主人公、帆高の雇用主である須賀は、最愛の妻に先立たれ、大切な人を失って、心にどこか空虚なものを抱えて生きているようです。仕事も怪しげな記事の編集で、社会的評価も低く、亡くなった妻の母にも疎んじられ、自分の娘になかなか会わせてもらえない状態であり、その現状をどこか諦めに似た気持ちで受け入れているように思えます。須賀は何かを諦めて、それが大人なのだと自分を無理やり納得させて生きている現代人の代表的存在です。「人柱1人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね」というセリフからも、大切なものを諦めるのが大人なのだと自分を納得させている様子が窺えます。

 

その一方で、家出少年の帆高を放っておけなかったり、帆高の拾って来た猫を事務所で飼ってあげたり、寝言で亡き妻の名前を呼んだり、指輪を触ったりする様子から、人情味が感じられる憎めない存在でもあります。同時に、亡き妻のことを現在も引きずっている様子が窺えます。須賀は、帆高が警察を振り切ろうともがき、「邪魔するな!俺はただ、もう一度あの子に会いたいんだ!」という言葉にハッとしましたが、ここで帆高の陽菜に対する一途な気持ちと、会いたくても会えない元妻への自分の気持ちとを重ね合わせたのだと思います。大切な、自分がどこかに置き忘れて諦めていた心を思い出したのでしょう。その結果、警察を抑えて帆高を陽菜のもとに向かわせました。

 

このように、本来、人は誰でも柔らかい純粋な心を持っているのですが、社会生活に自分を順応させようとした結果、自分の純粋な気持ちをどこかに置き忘れ、社会に順応することこそが大人なのだと無理やり自分を納得させて生きている人が多いと思います。須賀の心の変化は、きっかけさえあれば思い出すことができるという希望を私達に与えています。3年経過後、帆高が須賀の事務所を訪ねた時に、事務所が広くなり、何人かスタッフを雇い、仕事の順調ぶりが窺えました。そして娘とデートしたことを、帆高に嬉しそうに報告していましたが、帆高の純真さを見てハッとしたあの「気付き」があったからこそ、須賀は過去を清算し、前向きに生きられるようになったのだと思います。

 

次回はインシャッラー、この続きを書いていきます。