ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

こんな自分はケチなのでしょうか?

(ここではインドネシアのテレビ番組、Kalam Hatiで先生が話された内容に基づいて書いています。)

 

前回のお話の続きです。今日は番組の視聴者からの質問にソルメド先生が回答された内容をまとめていきます。

 

まずは視聴者からの質問です。

 

「私は妻子を養うだけで精一杯の生活です。私が屋台に入る時、ある貧しい老婆が自分の方をじっと見ていました。食べ物を分けてあげたい気持ちはあるものの、私には十分なお金がないため、ジレンマを感じましたが、結局無視してしまいました。こんな私はケチな人間の仲間に入るのでしょうか」

 

先生は回答する前に預言者様(彼に平安と祝福あれ)のサハーバ(教友)の話を紹介しました。ある日、預言者様(彼に平安と祝福あれ)の客人が来ることになり、預言者様(彼に平安と祝福あれ)がサハーバ達に「誰か私の客人をもてなしてくれる人はいますか」とお尋ねになりました。サハーバの一人が手を挙げたので、預言者様(彼に平安と祝福あれ)はその人の家で客人をもてなしてもらうことにしました。サハーバは家に帰って妻に預言者様(彼に平安と祝福あれ)の客人が来ることを告げると、妻は家には自分達が食べるだけのパンしかないと言いましたが、サハーバは、自分たちは食べずに、客人にそのパンを食べさせるように言いました。さらに、客人が遠慮して食べないという事態にならないように、部屋の明かりを消して自分たちも一緒に食べているふりをしました。アッラーはこの行為を大変喜ばれました。マーシャッラー。このように自分と自分の家族を犠牲にして他人に尽くすという行為は簡単には出来ないでしょう。

 

そこで、先ほどの質問者の話に戻りますが、貧しい老婆に食べ物を分けてあげるか、自分に余裕がないため自分と家族を優先するかは自分で選択すればよいと先生は言われました。この質問者の場合、貧しくて生活に余裕がないので、貧者に分け与えなくてもケチであることにはなりません。ですが、アッラーのお喜びを得るために多くなくても分けてあげるという選択肢もあります。これは自分で選ぶことができます。

 

先生は、アッラーを畏れる人たちには特徴があると言い、クルアーンのアーヤ(節)を紹介しました。

 

 「順境においてもまた逆境にあっても,(主の贈物を施しに)使う者,怒りを押えて人びとを寛容する者,本当にアッラーは,善い行いをなす者を愛でられる」(イムラーン家章、3:134)

 

アッラーは、余裕のある時だけでなく、貧しい時でも施す人をお喜びになります。施す人のみならず怒りを抑えて人を許せる人を愛されます。いずれもきわめて大きな忍耐が必要です。アッラーよ、どうか私達を忍耐強くしてください。アッラーに愛される人の中に私達を入れてください。

 

(Kompas TV、Kalam Hati、ソルメド先生の講話より)