ムスリム学びブログ

インドネシア人と結婚したムスリムの日々の学びの記録

占いに関するイスラム的見解

ほくろの位置によってその人の性格を推測したり、幸運があると捉えたりする占い師がいますよね。手や口、目の横にほくろがあるとどんな意味があるのか。そういった知識は私達にはありません。

 

アッラーはとてもシンプルな形に私達人間の体を創られました。私達はアッラーと同じものを創ることはできません。ほくろもそのうちのひとつです。ほくろは飾りのようなもの。顔にほくろがたくさんあるモデルが世界で活躍しています。アッラーは目に見えるものも見えないものも多くの装飾物を私達にお示しになっています。アッラーがお創りになるものに無駄なものはありません。ほくろもその人の運命であり、その人の人生に影響を及ぼします。手にほくろがあるためにリズキ(糧)がやってきたり仕事がうまくいったりすることがあります。これもアッラーからの恩恵です。アルハムドゥリッラー。

 

しかし、本人がほくろを恥ずかしいと感じる場合、たとえば大きかったり、あまりに数が多かったりして本人が恥ずかしいと思っている場合は、手術して取り除くことがイスラムでは許されています。結局のところ、リズキはほくろの有無やその位置に左右される訳ではないということです。

 

また、車のナンバーなど、好きな番号を高い値段で買うなどの行為はどうなのか。まずどの番号がいいのかというような私達が持っていない知識については、その知識がある人たちの権利なので尊重します。ではイスラムとしてはどうなのか。自分の好きな番号だったり、覚えやすい番号でビジネスパートナーと共有するのに便利だったりとライフスタイルとして使うのであれば問題ありません。しかし、その番号によってリズキがくると思ったり、逆に不運がくると思ったりしてはいけません。イスラムではこれをシャイターン(悪魔)の仕業、不浄なギャンブルのひとつと捉えています。

 

はるか昔、預言者様(彼に平安と祝福あれ)がお生まれになる以前は、鳥が飛び立つ方角や矢を使った占いが行われていました。預言者様(彼に平安と祝福あれ)が現れてイスラムが確立してから占いは禁止されました。人間の運命が鳥や矢、コインの表裏で決まることはありません。

 

本人がほくろを気に病んでいる場合、手術して取り除いても許されることにアッラーの寛大さを感じます。アルハムドゥリッラー。それなら最初からほくろがなかったらいいと思うかもしれませんが、アッラーがされることに無駄なことはないので、そこにも私達には想像も及ばない秘密が隠されているのだと思います。番号についても、人それぞれ好きな番号があると思いますし、利便性からその番号を使うことが許されていることからも、イスラムは寛容な宗教だと改めて感じています。どうか私達が間違った方向にいかないようにお守りください。